2012年5月11日金曜日

母の日の贈り物

去年の母の日に、長女からカーネーションの贈り物をもらいました。長女は同居している私の母にも色違いのカーネーションをプレゼントしました。
母はよほど嬉しかったらしく、毎日水をやり、時間によって日当たりのいいところに置き場所を替え、大事に大事に育てていました。
一方、、、、、私はひどかった。
2週間後、母のカーネーションはまだ生きていたけど、私のは悲惨な姿になっていました。
決して娘の気持ちを大事にしていなかったわけじゃない。
言い訳になるかもしれないけど、大学院生の私には自分と家族とペットのことで日常のことは精いっぱいでした。
花が枯れて茎だけになったカーネーションの鉢を捨てることもできず、すべてが土に返ったあとも空っぽになった鉢を見ては罪悪感に駆られていました。

そして、、、、、、
今年の2月23日、私の誕生日。
娘からのプレゼントは、やはり”花”でした。
でも、娘もよく考えたもので、花は花でも”ブリザードフラワー”を贈り物に選んだのです。
さすがにこれは枯れない。
生花は、私と相性が悪いのですから。

さて、こんなことを考えながら、車で仕事場に向かっていたとき、また、言葉に引っかかりました。
それは、
”生花”
なぜか、頭の中でこの漢字を思い浮かべながら「なま・ばな」と読んでいます。
なんだか、「なま」のほうが、今の心境にピッタリと合います。

そこで、ふと考えた。
「生」という字は、「せい」と読む場合と「なま」と読む場合があります。
この違いは何なのか。
なぜ、「なま・ばな」がピッタリ来たのか。

大辞林には、初めの2項に次のような意味が挙げられています。
食物などを煮たり焼いたりしていないこと。加熱・殺菌などの処理をしていないこと。また、そのさま。「魚を―で食う」「しぼりたての―の牛乳」
作為がなく、ありのままであること。また、そのさま。「国民の―の声」

例えば、生野菜、生卵、生魚、生肉、生物
     生放送、生演奏、
もし、直接歌手の浜崎あゆみを見たら、「生あゆ」ってことになる?

「なま足」を初めて聞いたときは、造語力のすごさに感心しました。何も履いていない足を指すのだけど、素足とはまた違うんですね。素足のほうがよほど響きがいいと思うのですが、ファッションにおいては「なま足」を好んで使っていました。この感覚がいい感じに響くのがまた不思議です。特に男性にはたまらない響きだったようです。
こんなことを考えながら、今日の仕事先、鳴門に到着。

さて、問題の「母の日の贈り物」
今年は「なまもの」、それとも「加工品」?

ちなみに義母への贈り物は、腕を通せるストールのようなもの。
義母もきっと私に言いたいことあるんだろうなあ。贈り物。。。