2011年6月18日土曜日

「学ぶ」ということ

「学ぶ」ってどういうことなのか。
ある国では、「この講義で何を学んだか」という問いに対し、授業で先生が話した内容だけを書くという。子どもならまだしも、いっぱしの学識のある大人がそうするのだ。

夕方のニュースを見ていたら、「塀の中の中学校」というタイトルで特集を組んでいた。塀(へい)の中というのは、つまり、刑務所の中ということで、受刑囚(じゅけいしゅう)-罪を犯して刑務所に入っている人が、刑務所の中の中学校へ通って勉強をする様子を取材していた。
年齢は20代から60代、国籍(こくせき)は問わない。
取材した記者によると、塀の中の中学校を卒業した受刑囚の再犯率はかなり低いということだった。
番組の締めくくりに「受刑囚はこの塀の中の中学校で何を学んだのでしょうか」と視聴者に問いかけた。
さて、これに対してどう答えるのか。
冒頭(ぼうとう)のある国の例でいえば、「国語と、数学と、日本の歴史と、、、、、」と答えるのだろうが、そんなことを聞きたいのではない。

「学ぶ」というのは「知る」ということではない。
知りえた情報や知識から、自分は何を考えどういった発見をしたかということが「学び」なのだ。
少なくとも、私たちは日本の教育の中で「学ぶ」姿勢を養ってきたと思う。
しかし、もしかしたら、その国の文化や環境によって、「学ぶ」ことのとらえ方が違う場合があるかもしれない。
けれども、やはり、私は「学び」は必ずあると思う。その人が「学んだ」ことに気付かないだけなのだ。それを気付かせるのが教育であり、言葉として表現するということではないのだろうか。

さて、「塀の中の中学校」で彼らは何を学んだのであろうか。
そして、私たちは「塀の中で学ぶ受刑囚」の特集を見て、何を学ぶだろうか。